皇室への適応障害と学校への適応障害


社会や学校で適応不全の人たちを、カテゴライズしていく、、、っていうことはありがちな事。
自らの健全さは、適応不全の人を指摘することによってより明確になるからね。
自らの社会的アイデンティティを追求すればするほど、社会的不適応の人々が必要になる、、、なんてね。

でも、よおく考えると、なんかおかしいのよね。
たとえば、今回の雅子様騒動。
彼女は<適応障害>という聞き慣れない病名を与えられているけど、
皇室に入る前は環境に適応/順応していてとてもはつらつと人生を送っていたんだよね〜。
でも、皇太子と結婚してからは皇室という環境に<適応>出来なくてストレスをため込んでしまった。
彼女が選択したのだから、その悩みは彼女自身が解決すべきものだとして、それにしても、
環境がいかに個人の精神に影響するか、、、と言う、見事な例。

ある環境に入ったものの、どうしてもそこに適応できなかったら、どうすればいいんだろう。
適応不全なんていうへんちくりんな病名を与えられながら、それでも徐々に適応していくしかないんだろうか?
そんなことはないはず。
今、雅子さんには<皇室>に適応するための道のりしか与えられていないような言説ばかりだけど、
実際には彼女は選択する事ができるはず。
たとえば、離婚する事だって。(憲法では皇太子や皇太子妃についての条文は一切ないし。)
でも、その選択肢は、彼女に取ってはまったく現実的じゃないんだろうな。

同じような事が発達障害をもつ子供達にも起きているのかなと思う。
幼稚で残酷な子供達がぎっしり囲われてて、
単調な授業が延々と続いて、
周囲から少しでも浮くようなことをすれば、ばい菌よばわりされたり、いじめにあったり、
よそ見をしたり、きちんとノートとれなかったりすると先生にさえ疎まれたり、
およそ彼らが苦手とする事ばかり強要される、学校という環境が彼らにとってどれほどストレスフルか
ちょっと考えるとすぐにわかる。

なんつーか、結構自分で自分の選択肢を狭めてしまうんだね。
いや〜〜反省反省。
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# by yyymotot | 2004-09-30 22:27 | Diary

ロシアの殺し屋

何年も前、息子から「ロシアの殺し屋おそロシヤァ」と小一ギャクを聞いた時はずっこけたけど、今回のテロは、今世界で起きているテロがどういう感情のメカニズムから発生しているのかを良くあらわしていて、各国首脳の「テロは断じて許さない」なんていう言葉はむなしく響くだけだ。

200年も続くチェチェンとロシアとの争いの末の絶望的なテロ。
憤怒や報復感情を慰撫してくれる社会なんてずっと訪れっこないって思ったら自らを社会から切断して人間bombとなる寡婦の気持ちがわかっちゃう。

「子供達明日がないと思うなら
 夜になっても遊び続けろ」

ある詩人のワンフレーズ。
明日がないと思うなら、そのまま遊び続けるか人間bombか?
遊び続けられるならそうするし、それもできないならば死を弄んでやる?
明日がないと思う人間は世界中いっぱいいると思うけど、それぞれが接続できる選択肢はあまりにも違う。

それぞれ違う社会に生まれてきた事も織り込み済みとして、ストンと腑に落ちる価値を設定することはできない?

そもそも、土地と民族がどうやって切り離せるんだろう?
ていうか、一旦切り離されたから、チェチェンの人は郷土を抽象化しちゃったんだろうか?愛なんていう訳わかんない抽象的な概念を死守するみたいな気持ちで郷土を思うのだろうか?

それにしても、同胞にしか届かない言葉しか言わないプレジデントってのが、今の時代のはやりみたい。でもそれって、100年前の治世のテクニックじゃないの?なんでこんなに稚拙なの?稚拙と感じてしまうのだろう?
実は、これこそが誰かにとって最高の形なの?私がしらされていないだけ?

カリスマをいただく形じゃ、もう、だめな事わかってるのに。
どんなカリスマが出てくるか、すっかりわかったはずなのに。
異論に対して合意する手法を持たなくて、結局は政権交代すらできなくて、
どんどんリアルと明日を失っていく。

そういうのつらい。

子供を盾にとるなんて想像の埒外、でも、それをしてしまうのは、200年にわたって夫や子供を殺され続けてきた記憶。そんな記憶をもたない私には、それがどれほど切実なものかなんてわかんない。

祈るより想像してみた方がいいのかもしれない。
険しい表情の寡婦テロリストを和ませた瞬間、、、、、。
そんな会話も可能なんだよ、こういう筋なら、、、っていうそういう話を語る政治家っていない?

そう言う人を応援したいよ。ほんと。


おまけ。反戦歌だってかっこよく今も可能っていう、、。
Faithless マス・ディストラクション
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# by yyymotot | 2004-09-04 22:27 | Diary

『ぼくは怖くない』

監督ガブリエレ・サルバトレス
同名イタリア小説の映画化。
出演 圧倒的な南伊の黄金の麦畑、太陽、そして子供達と、ビール腹だったり、安っぽかったりする大人達。

ミケーレは偶然、廃屋の側に「穴」があるのを見つける。穴のなかには同じぐらいの毛布を頭からすっぽりかぶった少年がいた。鎖につながれて。やがて、両親も関わってた大人達の悪巧みを知ったミケーレは、、、、。

いや〜〜こんな麦畑一度見てみたいよ。
イタリアといえば、「北部が南部を食わせてやってるんだ」が北部エリートたちの口癖だって噂、耳したことある。「オレ達は必死でイタリア経済に貢献してるのに、南部のゆたかな環境で、そこそこ楽しそうに暮らしてるやつらの面倒まで、なんでみなくちゃなんないんだよ!」ってな感覚なのかと思ってたけど、確かに、この映画の南部地方の麦畑はほんと黄金に輝く天国のよう(天国行った事ないけど)。
でもね、天国に見えても黄金にみえても麦畑は所詮「麦」なんだよ、、、三食昼寝付きにみえても主婦ってと〜〜〜ても大変なようにね、わかるか、ミラノのサラリーマン達よ!そして夫よ!
で、この映画は、黄金色の麦畑で元気に遊んでいた男の子が、麦の穂で隠されていた暗い秘密を知って無邪気だけの時代をそっと終える、、、っていうよな話。(そっとでもないか。バ〜〜ン!と終わるんだよねこの場合。)

ミケーレ役の男の子、少年期の終わりっていう短い時期を演じるにぴったり。たとえば細い体にちょっと筋肉がついてきた感じとか、今までとは違うように世界が見えてきたとき思わず凝視するその眼差しとか。いや、可愛い♪

ところでサルバトレスは、『ニルバーナ』っていう近未来ものも撮っていて、超面白そうなんだけどまだ見てない。主演は一時期熱中したクリストファー・ランバートだって!!TUTAYAいれてくないかな〜。

、、、、、、、、、もしかしたら、私は映画好きなんじゃなくて、男優ミーハーってことなのか?水着のおねえちゃんのグラビアをありがたがっているオヤジとおんなじじゃん、ま、いいけどね(w。
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# by yyymotot | 2004-09-04 17:08 | Movie

『River's Edge』(1986)

監督ティム・ハンター 
出演キアヌ・リーブス デニス・ホッパー クリスピン・クローバー

岡崎京子の『リバーズエッジ』って、結局これが元ネタだったのね。
でもって、ティム・ハンターってビバリーヒルズ青春白書の監督でもあったのね。
さらに言えば若いキアヌ・リーブスって、あの瞬間こんな顔するのね。(グフフwやっぱ、私はヨン様よりキアヌ様だな。
あと、ダッチワイフを愛するデニス・ホッパーやら本気でイカれてそうなクリスピン・クローバーやら。

ハイスクールの男子学生が仲間のガールフレンドを殺して川際に全裸で放置。その後、友人たちを連れて行く。彼らは親しい友のbodyを見せられても通報しようとさえしなかった、、、っていう80年代に実際にあった殺人事件が下敷になっている。
青少年の殺人事件が起きるとどの国の大人達も大騒ぎするが、この事件の場合、殺人事件そのものより、子供達が死体をみてもなんのアクションをおこさなかったこと(誰一人すぐに通報しようとしなかった)が問題になったようだ。
子供達の死に対する無感覚さ冷淡さに大人達はすごく狼狽えるけど、どんな概念でも体験しないうちはリアルじゃない。子供はまだ死をタブー視するほど経験を積んでないし社会化されてもいないってことで、そんなにびっくりするような事ではないような気もするけどね。


River's Edge


実際の加害者の動機は、精神障害やら、コミュニティの環境やら(ほとんどが白人、加害者は黒人)、母の死やらいろんな事が指摘されたようだけど、映画の中では「殺している時にものすごく生きてるって実感したんだ。」と加害者役のダニエル・ルーベックに叫ばせている。でも現実でもそうだったように、この映画が描くのは殺人事件そのものじゃない。焦点は事件周辺にたむろしていたティーンエイジャーの世界そのものにあてられている。
とりあえず、彼らの世界観や彼らが生きていた空間の手触りは感じられた。
それから、映画の中に登場する饒舌な社会学っぽい先生と比べて、子供達はあまりにも何も語らない。15,6ってそんなもんだっけ?夜中だっていつだって動き回っていて、なんか夜行性の動物みたい。で、唯一イカレた演説をしょっちゅうかましいるクリスピン・クローバーはそう言った子のリーダー役になってるわけで。
やっぱり、大人になるって言うのは言葉を習得していくプロセスでもあるんだなと、見当はずれに感心してしまったのでした。
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# by yyymotot | 2004-09-04 04:56 | Movie

悲しみのIT貧民

さあ、夏休みもそろそろ終わるし、
再開しよう。


マックの銀座店に行ってきた。
air mac環境を整えるべくair mac expressつうのを買いにいったのだ。
透明のエレベーターだ。フロアごとの展開だ。スタッフはみんな黒のTshirtだ。
秋葉原や新宿の電気屋とは確かに違う!
mac人口を増やしたい、それはわかる。
そのためのshopであることもわかる。
だがしかし、そこまで外観にお金を使うなら、そのお金でものすごいエキスパートの店員を雇ったらどうだ?


それから、apple store 、メールで新商品情報おくってくるんだけど、そんな素敵な新商品、たった二年前の機種なのにもう使えないっていうじゃない。
そういう情報は、赤い太字で書くべきじゃないの?
わざわざ、あっつい中行ってみたら、結局はうちのmacじゃair mac express 使えないそうじゃん。
それどころか、うちのmacに合うair mac の基盤っていうの?そういうの、もう製造中止で、買うなら秋葉原や新宿の電気屋をあたれっていうのって酷くないか?


どうせ、わたしには、電気屋の量販店がお似合いさ、ふっ。


なんつか、世の中は確実に二極化している、、、。
私はIT貧民だよ、どうせ、、、、(泣)。
いつか這い上がってやろうっていうIT的ハングリー精神もない、、、、。
世の中じゃ、金メダル、銀メダルっていってるのにさ、なんか情けないよ。
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# by yyymotot | 2004-08-21 21:11 | Diary

エイズ問題

帚木蓬生『アフリカの瞳』
南アフリカ共和国で医療に従事する作田医師が蔓延するエイズ禍の真相に迫る感動的サスペンス。



 ところで、アフリカのエイズ被害の認識はエドワード・フーバー著『The river』(BBSのアフリカ特派員であったフーバーによるポリオワクチンHIV汚染エイズ起源説。)(1999年刊)に遡る。
 フーバーの説は、刊行後すぐにあらゆる科学雑誌や専門家から攻撃される。専門家たちがトンデモ本として無視できなかったのは彼の説が膨大な調査と資料に裏付けされていたからだ。(ネットをいろいろみていると、専門家たちの素人分析に対する態度がいかに冷徹で、残虐かよくわかる。素人なのに、少しわかった風な口をきくととんでもないことになる、、、こともあるみたいだよ。ありがちなこと?)

 結果的に、フーバーの説はただの仮説でしかあり得ないということにおちついた。でも、『Nature』などの権威的科学雑誌や専門家がたった一冊のジャーナリストの本に反論する為これほどのエネルギーを注いだことは相当異例のことだったらしい。
なぜ、彼らが一斉にフーバー説を叩きのめしたのか。その立論の過程がアナボコだらけだったから?あるいは膨大な調査や資料が科学を擬態しているように思ったから?確かにそういう部分もあっただろうけど、科学者ではないジャーナリストの推論に対してその反応は大げさすぎない?

フーバーの本に専門家たちが過剰に反応したのは、実は、それが、モラルの問題だと直感したからではなかったかとか、思うよ。世界で起きているとても悲惨な現実と科学のモラルとの問題を彼らに問うていたから、それを無視するため、その問い自体を無意味なものにしなくてはならなかったのではなかったのか。腰抜けじゃん。

『The River』は、ポリオワクチン起源説を展開しながら、数字とグラフでアフリカの現実を浮かび上がらせる。
アフリカでだけ、なぜ、これほど、エイズ禍が広がってしまっているのか。植民地化された後の、奴隷の供給地となった後、その地はなにを失ってきたのか。植民地化され、奴隷となり、差別された人々が、結局どんな暮らしをしてきたのか。
こういうリアリティとアフリカのエイズ禍が実は密接に結びついちゃっていたりすることが、フーバーレポートから読み取れちゃう。エイズの起源より、もっと深刻なリアルな問題。

でもって、帚木蓬生『アフリカの瞳』だ。
実はね、アフリカのエイズ問題もニュースで聞くぐらいしか知らなかった。
この本を読んで、いろいろつながったよ。
ニュースで見るアフリカのエイズ問題



そういえば、この小説の中で、知的所有権とエイズ薬の扱いについての話が出てきてた。HIVからエイズ発病を遅延させるための薬開発のためには莫大な投資が必要。その投資を上回るリターンを確保するのは当然だとして、それが回収された時点で苦しんでいる人たちには無料提供もありじゃん、それが企業ってもんじゃないの、、、っていう話には、感動した。
なんか、winny問題も同じ?
ソフト開発者たちの利益は損なわないし、才能にはお金出しても全然平気。だけど、それで潤ったら、それ以上もうけないでもいいよ、みんなであそぼ、って感じ。
そんな風になったらいいのにね。


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# by yyymotot | 2004-07-06 23:03 | Books

10億分の1の男

色んな事に区切りが付いて、さ、アソボと思ったら、お茶をキーボードの上にたんまりこぼしてクリック生活。それにしても、なんだか基本的にツキがない気がする今日この頃。もし、色んな事気にするタイプだったら、そうとう厳しい日々なのかもしれないな。なんて思いながら、キーボード買って来ました!パコパコ打つのは気持がいいね。キーボードがダメになったら新しいのを買える!新品のキーボードは気持ち良いよン♪

ところで、ツキといえば「10億分の1の男」。スペイン映画ってTUTAYAにあればなるべく見るようにしているのだけど、この映画はケースの裏にあるストーリだけ読むと「ツキを競う」っていうジャストアイディアでできちゃった映画ですぅっていう感じで、なんか全体が見える気がしてちょっと借りる気がしなかったのよね。で、結局、ダンナが借りて来てようやく見る事になった次第。

結果。うひょひょ。面白かった。
で、とりあえず、ネットで見た人の評判を探ってみたりもした。
面白くない、、、っていう感想が結構あって、ムカ!!
だいたいやねー、映画における面白くないとか面白いっていう基準はなんだ!と。
自分の心情に近いバイブレーションをもった簡単にわかって簡単に面白がらせてくれる映画がそんなに好きか!と。
翻ってみれば、ちみたちは面白くないと簡単にいってしまう自分がそんなに好きなのか!と。

たとえば、記号。
全ての映像はつくりもの。なので、そこにはあらゆる意味を盛り込む監督がいる。今回の場合も、サークルとスクエア、自然と人工、遮断と接触、、、、そういう対立的なモチーフがあらゆる場面で対比的にあらわれる。巧いのは、それが何の予兆にもなっていないことだ。ツキがどっちにころぶのか、最後まで観客にはツキの法則を予測できない。
たとえば、時間。
全ての映像はつくりもの。なので、そこにはあらゆる時間が登場する。今回は、割合フツー。でも、時間を操作する監督としてはタルコフスキーが超一流。彼の映画を見ていると時間の概念が狂う。この映画では広大な自然を俯瞰するカメラワークが人の持ち時間の小ささを印象づけたりもしてるけど。
たとえば、エキゾチズム。
全ての映像はつくりもの。
この監督以下その映画を作っている人達が共通する了解といかに遠い世界、日本って!?だいたい、スペイン映画はしょっちゅう闘牛が出てくるんだけど、日本で言えば、どういう人達?
ガチンコで死と隣り合わせのヒーローが輝いている社会ってどうよ。盛り上がりをみせてる格闘技界だって相手は人間だよ。牛となぜ対決しなければならないのかよくわからない。そういうわからない事をずっとみつづけてたら、ツキなんてことも、そうとう考えちゃうよね、そして、スペイン内戦。
たとえば、赤。
全ての映像はつくりもの。なので、この映画では、死を賭ける部屋への誘導は赤いカーペットによって行われる。なんだよ、やっぱり、闘牛なのか?なんてことをおもわせられつつ、スタイリッシュで、かっこいいい。


面白くない、っていうのは簡単だけど、ただ、面白くない、って切り捨てたとたん、そのコメントが面白くなくて、だめじゃん、になっちゃう。

どんなことにも、とりあえず面白い事を探すっていうのが多分現代求められている礼儀作法かもね。面白がれるリソースを紹介しなくちゃね。そうでなければ、面白くなかったその根拠。
ただ、面白かった、面白くなかった、だけじゃだれも納得しないよね。
っていうか、私もなんで面白かったかをいってないよね、、、、、。
きゃ_____!!


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# by yyymotot | 2004-07-04 23:43 | Movie

FAHRENHEIT9/11.

う〜〜〜(泣)
マイケル・ムーアの映画「FAHRENTHEIT9/11」が6/25日に公開されてからアメリカはえらい事になっているらしい。
メルギブソンの裏切り(?)や(出資を途中で引き上げた!)、ディズニーからの横やりなど、一時は選挙前の上映は不可能なんじゃないかという噂も囁かれて、ほんと、様々な障害をくぐり抜けての全米公開だった。
「『おい、ブッシュ、世界を返せ』に既にかかれていたことばかり」、「ドキュメンタリにしては客観性に欠ける」、、なんていう前評判もあって、実際のムーアのアメリカでのポジションがわからない私は、アメリカンがどんな反応を見せるのかそうとう興味津々だった。
そしたらね、いざ蓋をあけてみると、、、、なんと、興行成績第一位!
うわぉ!!

でもって、それを見たアメリカンの感想がここに↓
マイケル・ムーアオフィシャルサイト内アメリカンの反応記事

マイケル・ムーア日本語サイト

なんだか読んでいて、ゾクゾクしちゃったよ。
そういえば、村上春樹の「海辺のカフカ」のサイトでも同じような経験をした。
刊行後、読者からの感想を公募したコーナーが設けられて、色んな人がそれぞれどんな風に「カフカ」を読んだかって語ってた。それぞれまるで違うヒストリーを持つ人が、同じ本を読んで(感じた事は違っても)それぞれ、その作品との出会えたことを心から喜んでいる。なんか素敵だった。(後々、この感想文は一冊の本にまとめられたんじゃなかったかな?)

こういうことに出くわすとなんで、私は、こんなにワクワクしてしまうんだろう。
自分とおなじようなテーストが好きなひとがこんなに一杯いるって確かめられて嬉しい?
どんな風に好きかっていうことが、それぞれだっていうことがわかって嬉しい?
ちがうな。
私たちを感動や感謝の良き感情で結び付けてくれるそういう人達がいる、ってこと、それをみんなで発見していること、そういう事に心踊っちゃうのよ。
簡単に言えば、カリスマの発見、カリスマ性の相互補強、そのプロセスが目の前で展開されている事自体がワクワクの最大の理由なんだと思う。

こういう事を書くと、オウムの麻原に対する盲信やら、それが引き起こした世紀の悲劇的なテロ事件を想像して、やな気持ちになる人がいるかもしれない。麻原のカリスマ性ってすごかったそうだから。
でも、あんなことが一回あったからって、あらゆるモデルを否定する気持ちになってしまうのもおかしな話しじゃないかと思う。人間ってそんなに強くないし、個性的であるはずもない。自分だけの価値観で自分をがんじがらめにしてしまうより、色んな人に憧れ(させられ)たり、影響を受け(させられ)たりしている状況の方がまだましなんじゃないかな。そのほうがよりコミュニカティブだし。

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# by yyymotot | 2004-07-01 00:18 | Movie

足の裏様

六帖の和室をリフォームすることになった。
ここは、私のプレイルームでpcやら楽器やら本やらで埋め尽くされている。
乾かなかった洗濯ものなどの一時吊るし部屋でもある。
そもそも和室って何も置いてない状態が様になるのであって、ここまでモノで溢れると障子の桟がつくるグリッドさえうっとおしい。畳みの縁さえごちゃごちゃしてみえる。(数年前にカーペットをひいて床を一色にしようとしたが、元来の粗忽者ゆえ、コーヒーやらなにやらこぼした染みやそれと格闘した結果色落ちした箇所があってうっすらまだら状態になっていて今は畳のほうがまだましかと、、。)

で、この六帖をフローリングにしてしまおう、ついでに巨大本棚も作ってしまおう、っていうような計画がもちあがったのだ。
知り合いの業者さんに頼んで手は確保した。さて、では、何を貼るかだ。予算は極力限られている。業者さんのサンプルを見ていたら無垢材なんてトンデモナイ、、、。そこで、ネット販売を検索。、、、あるある、なんと格安で無垢材がなんでも入手可能ではないか。こうなると人間不思議なものでどんどん欲張りになってしまうのよね。ビルマチーク半坪10000円。ま、いいわね、え!なにこれこんな短い木を集めてんの、それじゃあちょっとね〜〜。(あったりまえだよ。どこまで期待する!) wenge、これって結構流行しててるんだよな、ふ〜〜ん、どれどれお値段は?え、見積もりはメールでだって、なんか感じ悪いね、値段出す気ないならネット販売しなくていいじゃん。(感じ悪いって?ネットにつながるまでは平等だけど、やっぱそこには様々な階級差があるんだよ!)
結局、なかなか決められないでいたのでした。そもそも、夫は薄い色の床、私は濃い色指向で、最初っから目指す方向もちがってた。ネット販売を知るまでは価格が最優先基準で、いくつかの木材から互いに譲れない線をはずして残った物にするって言う妥協案になりそうだった。ところが、ネット販売を検索したとたん、その枠が思いきりはずされてしまったというわけ。
たった一冊の何ページかのサンプル帳にあるわずか何種類かの選択肢しかなかったのが、いきなり、その何十倍もの選択肢があることになっちゃった。多様な選択肢があることこそ自由っていうのはその通りだと思うけど、実際、なにがなんだか訳わかんなくなっちゃったのね。自由っていうのは、おっしゃるとおり随分大変な事ですねフロムさん、とか思いながら(嘘、そんなこと思うわけない)、web上のいろんな床材を4時間にわたって見続けていた馬鹿な夫婦って私達です。
で、選択のブレッシャ〜にへなへなになりつつあった私は、木材メーカーの某サイトの床材人気ランキングをぼんやり眺めていた訳です。すると、チークの無塗装っていうのが一位。
ふ〜〜ん、って感じで見てたんだけどね、どちらからともなく、
「これにする?」「これいいかも?」
って、ことになったのでした。

つまりね、2人とも、塗装してある床材から選ぼうとしてたんだけど、いきなり、ぜんぜん別な価値が投入されたの。
「これって、足の裏に相当気持ちよさそでないかい?」

そう、それまでは色とか価格とかで選んでいたけど、足の裏の感覚っていうことが加味されたとたん、バババって再集計してこれはいい!って2人とも思っちゃった。

今まで足の裏をどれだけないがしろにしてきたか、改めて反省するよ。
夫の足の裏も、私の足の裏も、こんなに無塗装を欲していたのか。
いや〜感動的だった。
いつもサイレントで控えめな奴がこんなに決定権を持つとはね。

つーわけで、めでたく私たちは足の裏様のお告げに従ってフローリング材を決定する事ができたのでした。
頭でっかちでなにを基準に選択していいかわからなくなりがちな私達だけど、シンプルに自分の身体からのお告げに耳を傾けるって、結構大事だよな思った今日この頃でした。


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# by yyymotot | 2004-06-28 21:54 | Diary

同性結婚はいいこと?わるいこと?

7月1日刊の週刊文春を読んでてびっくりした。
ちょっとした海外トピックを載せるthis weekという一ページの中の下半分のちゃちい記事。

  
 ”ゲイ公認”のブラジルで世界最大のゲイ・パレード開催”

  「わがサンパウロ市は、世界最大のゲイ・パレードを誇りにする。」プラジル・サンパウロ市のマルタ・スプレシー市長が六月十三日「代八回オルグーリョ・ゲイ(ゲイの誇り)」パレードの開催を宣言した。(中略)現実には、ブラジル国会でも、同性結婚の法制化を巡る審議がおこなわれている。そのせいか、このパレードが始まる巣実前から政府は病院や警察、労働、教育などのあらゆる場で、同性愛者への偏見をなくす「ホモフォビア(同性愛差別)のないブラジル」キャンペーンをはじめた。、、、、、(7月1日週刊文春より)


そういえば世界のあちこちで同性婚がみとめられつつある。
バルギーでもノルウェーでもフランスでも、マサチュセッツ州でも完璧に合法だ。サンフランシスコでもニューメキシコでもゲイカップルへの結婚許可証がばんばん出されているようだし。

同性婚・パートナーシップ法☆トピックス

ゲイに対する偏見って日本ではどうなんだろう。ちゃんとした社会に生きてる訳ではないのでよくわからないけど、どうなんだろう?ゲイが原因で仕事を失ったり、陰口を叩かれたり、いきなり叩かれたり、顔をしかめられたりすることなんてあるのか?

ゲイの人達が一番厳しいのは「自分は普通じゃないかも」っていう煩悶の時期なんじゃないだろうか。
その時期をなんとか乗り越えて居直ってれば、(ゲイに限らず)そういう時期を体験したことのある人特有の腰の座った強さが魅力となって自然に人があつまってくる。実際、わたしは、ある時期オカマのマスターを好きになって彼のお店に通いつめた事がある。いまでもあの店の居心地良さは忘れられない。

同性愛に厳しい社会っていうのは、異性愛が「正」で、それ以外を「負」とする倫理観をもつ社会。
人間同士の様々に結ばれるうるだろう「関係性」にプラスとマイナスの価値を持ち込んで、いちいち採点しなくちゃ秩序が保てないっていう社会、厳格なモラルを要求する神様の国々だ。逆にいえば、そういう国の人達は、その神聖に圧倒された、っていうんじゃなくて、共同体の秩序を保つため、あるいは 存続させつづけるために個人的な想いを超えた共同体全体の意思として神の厳格なモラルをあえて選んだ歴史をもつ、、なんていう風にも言えるのかもしれない。
そういえば、政権の団結力や秩序が危うくなるといつも厳しい神の掟を思い出させるような事件が起こる国もある。(ブッシュさん、あんたの所だよ!)

で、同性婚だ。
神様に厳しすぎる倫理を押し付けられるより、頑張って自分たちで秩序を維持する努力をして、個人的な自由度を拡大してきた私達にとって同性婚なんてもはや倫理的にどうってことない。
社会的認知があえて必要なのかという疑問もあるようだけど、フロイトやらラカンやらの声を耳に挟んだ私たちには、普通じゃないということから自我を形成してきた人に取って、普通の扱い、普通の形式がどれほど欲望の対象になるか、その気持ちも想いも簡単に想像が付く。


だからね、私はね、

いいじゃない。同性婚、、、、、。

つうっていう風に、記事が終わると思ってたのよ。
そしたらね、そうじゃなかったの。
びっくりしたよ〜〜。

結びの文章を引用するよ。
いい?
心を引き締めて、びっくりしないでね。
ほんと、引用開始するよ。

「 ”革新的なゲイの理解国”が増えることはいい事なのだろうか。」(週刊文春7/1号)

、、、、、、、、、、、、だってよ!!!!
「革新的」っていう形容の意味は何?
「理解」って何、どんな無理解からの「理解」
いい事なのだろうか?って、聞くなよ!!
え〜〜〜信じられな〜〜〜い。
いい事じゃないと思うなら理由を述べろよ!!

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# by yyymotot | 2004-06-24 22:07 | Diary