『航路』 コニー・ウィルス

『航路』 コニー・ウィルス
う〜〜、、久々に<読んだよ〜>っていう感じ。
簡単に言えば、「臨死体験SFもの」。
臨死体験を科学的に解き明かそうとする主人公ジョアンナが、実際に疑似臨死実験を通してその秘密に最後辿り着く、、っていう話。この本に出てくる疑似臨死体験誘発剤「デジテミン」は著者の創作なのでジョアンナが辿り着いた結論だって実は一つの可能性にすぎないんだけど。

ニアデス体験者が語る天国やら極楽やらの話は、無宗教者(多宗教者)の多い日本人ならすぐそれが何かのメタファだとわかるんだけど、流石ブッシュを再選させた宗教国アメリカ。ニアデス者の天国的なイメージですっかり舞い上がっちゃうらしい。神の国はあるようだ、、、とか、そういう話にもってけば大受け。この本は、そういう現実の状況にトンデモ嫌いな著者が、全く別の解釈を提供する話。そう、別の解釈、、、。でも、実は、彼女の解釈はそんなに救いのあるものではない。救いはないけど感動する。
救いとか癒しとか、そう言うものと感動が全然別ってことがよくわかる。


日本ではニアデスもので有名なのは立花隆の『臨死体験』だろうか。多分読んだと思うけどすっかり忘れてる。
いずれにしても、肉体的に異常事態が起き苦痛を引き起こす時、脳がそれを緩和するためにエンドルフィンやそれに近いものを分泌して死の肉体的苦痛から逃避させるんだろうな、、、ぐらいは考えてた。
でも、コニー・ウィルスが描き出した結論は、、、、。

以下ネタバレ
 今回『航路』で物凄くショックなのは、脳死ビジョンとはあるメタファ〜にすぎないというくだり。
人間の考え、創造物なぞ、すべからく脳のメタファーにすぎない、といった養老タケシの言葉を思い出した。

『航路』は、ニアデスのビジョンは死に対抗しようとする脳のSOS活動だったっていうオチ。襲いかかる「死」に脳はSOS信号を打ち続けあらゆるシナプス連結を行い、死を回避しようとする。あらゆるビジョンは、その最後のあがきだって言う訳です。ニアデスで語られる故人との出会いも、天国のような光景も光もすべて、理解不能の「死」というものに対して、なんとか整合性をつけよう、終わりを回避しようとする脳の最後のあがきだという解釈。

私たちがその死を倫理的に社会的に解釈し納得したところで、死に際した脳は、かつて一度だけつながった経路までを探し出して
「SOS]を発信しようと躍起になり様々なビジョンを見せ、なんとか死を免れようとあっちこっちに信号をやみくもに送る、かつて一度でもつながったことのあるシナプスを必死で探しだし「SOS」を送り続けるようとする、、、。
なぜなら「死」という概念は脳の機能それ自体には決して理解できないできごとだから、、、。
なんと切ない話でしょう。
脳!がんばるからね。って呼びかけたくなる。生命っていうのやっぱり凄い感動的なものなんだなあ。



だれも死者が語るようには「死」を説明する事は出来ない。
疑似臨死体験誘発剤がたとえ出来たとしても、それは、本当の死とは多分ちがう。でも、それがあった時、どんな風に人間はどんな風に死を理解し直すだろう。それによってどんな風に自分の生を価値づけることができるだろう。そんな if に挑戦したコニー・ウィルス。
極私的な自分を超え、様々に死んでいった、あるいは死につつある、あるいは、死んでいく多種多様な「私」という集合体に対する壮大なレクイエムを聞き続けている感覚が読後2日経ってもまだ残っている。
絶対おすすめ。
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# by yyymotot | 2004-12-28 22:35 | Books

ギター侍見参

ズコッ。夫はコウ様の『魔王』面白くなかったって。
なんだよ(怒)。

ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ♪
「○○○○、○○○くん、私の大好きなコウ様の小説初めて読んで、『言葉とかいろいろひっかかっちゃう部分が多くて、君が好きなのはわかる気がするけど、僕は好きじゃない』っていうじゃな〜〜い、、、。だけど、ひっかかるのは人が好きなものをそんな風に簡単に否定するあんたの態度ですから〜〜!!残念。」
「人が好みのテイストをしゃべるのは、それを好きか嫌いかって言う話じゃなくて、こういうのが好きな私なんだけど、そういう私をどう思う?っていうような話なんだよ、たかだか夫婦の会話だぜ斬り〜。」
ぐわはは(笑)、、、、虚し。
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# by yyymotot | 2004-12-05 21:50 | Diary

伊坂幸太郎ことコウ様書き下ろし『魔王』にオバハン感涙。

とはいえヨン様に熱狂できない私には、コウ様がいる。
久しぶりに本屋に行ったら,『エソラ』っていう雑誌が発刊されてて、そこでコウ様が『魔王』300枚を書き下ろされてた。読む前から久しぶりに幸せになる。
どんな結末であろうと、コウ様のお話は読む楽しみに満ちている。ちょっと前に出た殺し屋達の物語のタイトルは『グラスホッパー』、今回は『グラスホッパー』っていうカクテルが登場するよ。そんな、ファンサービスもコウ様らしくて。

『魔王』では、今の日本のムードそのものが描かれてる。
宮沢賢治の詩編と岩手山がコウ様『魔王』の重低音域でのリズム。『冒険野郎マクガイバー』が身体的なリズム。それらのリズムに合わせてラッパーコウ様の物語が疾走する。
やっぱ、コウ様、ええなあ〜〜!
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# by yyymotot | 2004-12-03 21:48 | Books

ペ様来日。オバハン熱狂。

ペ・ヨンジュンが、来た、帰った。
成田は5000人以上のファンで大変な事になっていたらしい。
私は冬のソナタを10分見てダメだった口。正座してみたら韓流のうねりの中に飛び込んでいけたのかもしれないけど。(ウソ〜。)
それにしても、ヨン様の腰の低い態度はなんて新鮮なんだろう。彼は自分がスターであるとは思ってないね。自分のカリスマ性が、すぐに飽きられてしまうかもしれない単純なフェロモンに依拠していることを物凄く理解している。(彼自身が、って言うより彼のブレーンが?)

ところで、日本の子女が韓国のスターにキャーキャーいってる現実を日韓の男達はどう見ているんだろうっていうのは相当興味ある話。

戦時中のレイプに特別な意味があるっていったのはフェミニスト達だった。
敵の女を陵辱する事にはさらなる意味が込められやすいんじゃないか、いっそう加虐的になりやすいんじゃないか、、、なんて言うような話が言われてたんけど、今となってはなんともお気楽な時代だったんだなと思うよ。

だって小1の女の子を殺してその上で陵辱した話や、国士舘大学の学生が15歳の女の子を15人で犯した話やスーフリのバカ学生の女子観をみると、今のある種の男の子達には同胞の女子が守るべき宝だなんて感覚は一切ないようだもの。今彼らは、女子自体をまるで徹底的に別な種族だと思っているよう。
同胞の女の、それも、まだ幼い養女を陵辱する意味を見いだす必要は私たちには全くわからない、、、。


日本の古い男達は、ヨン様人気に何かひとこと言ってはやりたいけど、適当な言葉が見つからないみたい。もしかしたら、ちょっとはヨン様に憧れるオバサマの気持ちをわかっちゃてるんだろうか?
女に取って韓国の男性との結婚願望急上昇だし、国家なんてのも簡単に乗り越えていけるハードルなんだろうな、今も。

けっきょ〜〜く、日本の男との将来には、あんまり面白みがない、、、って言うのが、ヨン様おばちゃんたちが下した判断なんだろうと思う。確かに、恋愛って一番単純で面白い対人ゲームだからね〜。
おばちゃんがヨン様の夢を見る頃、おじちゃん達はどんな夢にポヨヨ〜〜ンとなっているんだろう?巨乳?ロリコン?
昔は電気羊の夢をみる男の子がいてね、そんな話を出来る子がモテたもんだけどね。
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# by yyymotot | 2004-12-02 22:56 | Diary

変則的な家族の儀式

うひゃひゃ。
何年かごとに、つい繰り返してしまう、結婚から今までの写真を全部見るの儀式をやってしまったよ。
とんでもなく若くて髪の毛ふさふさの夫とか、とんでもなく可愛い赤ちゃんとか、とんでもなくほそっちい私とかがいて、確かにこういう時期を経過してきたんだと改めてしみじみ。
きっと、うちの子供も写真をとる夫になるんだろうな。がんばってね。
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# by yyymotot | 2004-11-10 23:39 | Diary

『モンスター』

いまさらだけど、「モンスター」。
出演シャーリーズ・セロン、クリスティーナ・リッチ。
監督パティ・ジェンキンズ
つか、S・セロンってラックスのコマーシャルに出てるあのモデル出身の女優よ。おでこもほっぺも丸くってツヤツヤしてるあの美しい人、、、、って言っても、この映画みて誰がそれに気がつくだろう。13キロ増量したたぷたぷの体、目を背けたくなっちゃうような神経症的な表情、そわそわして落ち着かない振る舞い、、、「こんなのS・セロンじゃない!」と彼女のファンは叫んだはずだ。
これでアカデミー主演女優賞とらなかったら誰がとるのよ、ほんと。

ところでこの映画は実在のシリアル・キラー、アイリーン・ウォーノスという女性を描いたもの。2002年に死刑が行われるまで、数少ない女性のシリアルキラー死刑囚として相当マスコミの脚光を浴びたらしい。「シリアル・キラー アイリーン」っていう彼女のドキュメンタリーも「モンスター」公開後、全米公開されている。
ちなみに、彼女の死刑執行にサインしたのは、ブッシュの弟で、フロリダ州知事のジェブ・ブッシュ。

「シリアル・キラー アイリーン」
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# by yyymotot | 2004-11-06 18:58 | Movie

フライパン問題


なんだか訳わからないままに、面白がっていた某掲示板界隈での狂騒もすっかり終わってしまった。どんなものであろうと祭りは面白くて、祭りの後は寂しかったりするってのがよくわかる台風の夜。(んでもって、祭りには参加すべし、っていうのも。)
子供は、塾が休みになって、あわよくば明日も休校になるのでは?なんてウキウキしながらよこなぐりの雨に見入ってる。

で、フライパン。
実は、バカ売れするフライパンをつくろうっていう企画が身近にあったりして、にわかフライパン調べをしてみてたんだけど、どうなんだろう、奥様的に。
プロの料理人と毎日のおさんどんをする奥様達は同じように毎日食事を作りながら、意識は徹底的に違うような気がする。
私の場合、核家族で夫が夕食を共にするのはウィークデイでは一日だけ、そのうえ、子供が偏食。作る料理は、どうしたって子供に合わせる事になる。で、そういう日々を繰り返しているうちに料理に対する情熱はすっかり失せてしまう。情熱が失せると料理を作る事に喜びを見いだせなくなる。結果、栄養的な事とお腹いっぱいになることを最優先したつまんない食事を作り始めることになる。で、つまんない料理ばっかり作っていると、食べる事に対する情熱も失せてくる。すると、作るのも面白くなくなる。で、作りたくなくなると、作業時間の短縮を図ろうとする。短縮がテーマになると、料理に対する情熱はますます失せる。ま、複合的悪循環ですな。

で、そういう循環を<悪>と感じる私って何?って考えてみると、結局、幼い頃に自分が与えてもらった食事環境を基準として考えているんだよね。
うちは、おばあちゃんが大の料理好きでそうとうな腕のある人だった。なにを作ってもおいしくて、孫のリクエストするハイカラな料理だってなんだって作ってしまう。不思議に思って聞いたら、料理学校に通った事もあるって言う話だった。
花嫁学校としての料理学校じゃなくて、生きてくための料理学校ね。
(そういえば、徹底してたのは料理だけじゃなかった。彼女はパンツにまでアイロンをかけてたよ。)

で、もう、何つくろう?もうやだ〜、って思ったとき、私はおばあちゃんのおいしい料理を思い出す事によってかろうじてそれを乗り越えることが出来る時がある。(それどころか、人生もういや、と思った時に、おばあちゃんの五目煮を思い出して幸せになる事もある。)
自分が与えてもらった事をなすのは当然、それが出来ないのは私の前の世代の人たちに対して申し訳ない事だと思っていろんな簡便さを思いとどまったりする。どんなコマーシャルにも負けず、そういう過去の体験が最低ライン(レトルトとか、なんとかのもとを使用する)の歯止めとなっているし、やっぱりおいしいと言ってもらえるものをつくんなきゃっていう動機になってたりするのよね。
ドコマデモぐーたらokの私の歯止めは、結局、過去の体験だったり、おばあちゃんの意志だったりするわけなんだ。

食って言うのは、そんな風に継承されるものだろうなって、最近つくづく思った。

で、フライパン。
フライパンって、実は凶器にもなる。
めんどくさいから調べないけど。
フライパンで殴ったり焼かれたりして殺された人間も何人かいる。
フライパンは何でも出来る。
でも、フライパンで何でも出来るっていうのは日本の過去にはあり得なかった状況かも。
何でも出来るフライパンが欲しいけど、そうじゃなくて、おばあちゃんみたいにせいろを出したりひっこめたり、大きなお鍋を出したりひっこめたり、その度に儀式用具をだすみたいな仕草だって、実は、とっても伝えていきたいなあとか思ったりしてるんだ。
主婦にもっと大きな台所を!
食の伝統をもっと大事に!
みたいな?
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# by yyymotot | 2004-10-20 22:17 | Diary

たしかにね。

「フライパンで料理の9割は可能」だそうだ。
さんまの塩焼きもできるんだって。
ちょっと深めのフライパンがあればたしかに鍋はいらないな。
深くて返しにくいっていうなら、それ専用の形したフライカエシを考えるとか、
思い切ってトングでやるとか、なんとかなりそうね。

フライパンで料理の9割は可能
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# by yyymotot | 2004-10-07 22:02 | Diary

『ラリー・フリント The People vs.Larry Flint』1996

ポルノの帝王、『ハスラー』創業者、先のカリフォルニア選挙でギャンブルと売春の合法化を公約に立候補したラリー・フリントの戦う半生。
フリント役には『ナチュラルボーン・キラーズ』のウディ・ハレルソン。薬中の果てエイズを患う妻役にはコートニー・ラブ。監督は『カッコーの巣の上で』『アマデウス』のミロス・フォアマン。製作はオリバーストーン。
(オリバー・ストーンは、1994年には『ナチュラルボーン・キラーズ』にラリー・フリントを起用した際、彼の父親が殺人で終身刑を食らっているからだって言うような事をいってたようだが、1996年『ラリーフリント』ではポルノの帝王役に抜擢。タフな出自は関係ないと思うけど、確かにハレルソンはいつも迫力あるね。)

この映画はちょっとウダウダ思考に犯されつつあった私を相当元気にしてくれた。
そだ、エネルギー充填!

それはそれとして。
これを見るまでハスラーもラリー・フリントも全く無縁だったけど、この映画で興味がわいて検索してみた。で、一番面白かったのは、ラリー・フリントの娘のトーニャが、すっかりポルノグラフィアレルギーで、それどころか、『Hustled: My Journey from Fear to Faith』っていうパパに虐待されてたって告発本を書いていたってこと。(この映画をみて、パパがヒーロ?とんでもない!黙ってるわけにはいかない、と思って書いたらしい。)

映画でも描かれているけど、ラリー・フリントは、超有名伝道師を誌上でおちょくって(野外トイレで母親とファックしたって告白パロディ公広告を載せた)起訴されて最高裁で言論の自由を争って結局は無罪を勝ち取るんだけど、とすれば、娘の告発を封じる訳にもいかないし、だからといって、娘に対して肉体的精神的虐待を行った、、、なんて言われっぱなしにしておくこともできないわけで(フリント自身はきっぱり否定している)、言論の自由を保障するのも善し悪しだなと考えた、、、、、、かどうかはしらない。


トーニャ・フリント
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# by yyymotot | 2004-10-03 05:28 | Movie

「負け犬」じゃなくて、「噛ませ犬」かも     カテゴリは「 愚痴 」だね。


むかし、シャナナっていうバンドがあって、年上のあこがれの君がシャナナが好きっていうので、それからずっとシャナナっていう音感に特別な思い入れがあって、サザンがシャナナ〜♪って歌った時は、ちょっとドキドキして、っていうようなそんな微妙にトキメク気持ちをすっかり失ってしまうってどうよ。

周りになんと言われても、キンクスが好きな自分が好きっていう感覚はなんでなくなっちゃったの?

夜中にこっそり抜け出して一週間前に火事で焼けた高校の校庭で踊ったのは幻?

文化祭でユーミンを歌った厚顔はどこにいっちゃったの?

アマチュアバンドマンのkちゃんに、いまさら、申し訳なく思うってどうよ。

結婚してから私は、本当にひとりになった。
それまではなんだかんだ言っても家族が支えてくれてたんだな。
ひとりになってからは、なんでも本当にひとりだけで決めなくちゃならなくて、
そういう訓練してなかったから、ほんと、大変だった。
そのうち、シャナナもキンクスもわくわくするような体験も厚顔も鼻持ちならない自信も、すべてなくして結局はおろおろするお母さんになっちゃった。

私は、今、自信をもって言うよ。
結婚は好き嫌いじゃなくて、さまざまな援助を受けられる形ですべきだってね。
お見合いなんてのは、ほんと合理的なシステムかもよ。
で、恋愛で結婚するなら、なんでも一人で決めたりしなくてすみそうな人を探すべきだよ。
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# by yyymotot | 2004-10-02 00:01 | Diary