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フライパン問題


なんだか訳わからないままに、面白がっていた某掲示板界隈での狂騒もすっかり終わってしまった。どんなものであろうと祭りは面白くて、祭りの後は寂しかったりするってのがよくわかる台風の夜。(んでもって、祭りには参加すべし、っていうのも。)
子供は、塾が休みになって、あわよくば明日も休校になるのでは?なんてウキウキしながらよこなぐりの雨に見入ってる。

で、フライパン。
実は、バカ売れするフライパンをつくろうっていう企画が身近にあったりして、にわかフライパン調べをしてみてたんだけど、どうなんだろう、奥様的に。
プロの料理人と毎日のおさんどんをする奥様達は同じように毎日食事を作りながら、意識は徹底的に違うような気がする。
私の場合、核家族で夫が夕食を共にするのはウィークデイでは一日だけ、そのうえ、子供が偏食。作る料理は、どうしたって子供に合わせる事になる。で、そういう日々を繰り返しているうちに料理に対する情熱はすっかり失せてしまう。情熱が失せると料理を作る事に喜びを見いだせなくなる。結果、栄養的な事とお腹いっぱいになることを最優先したつまんない食事を作り始めることになる。で、つまんない料理ばっかり作っていると、食べる事に対する情熱も失せてくる。すると、作るのも面白くなくなる。で、作りたくなくなると、作業時間の短縮を図ろうとする。短縮がテーマになると、料理に対する情熱はますます失せる。ま、複合的悪循環ですな。

で、そういう循環を<悪>と感じる私って何?って考えてみると、結局、幼い頃に自分が与えてもらった食事環境を基準として考えているんだよね。
うちは、おばあちゃんが大の料理好きでそうとうな腕のある人だった。なにを作ってもおいしくて、孫のリクエストするハイカラな料理だってなんだって作ってしまう。不思議に思って聞いたら、料理学校に通った事もあるって言う話だった。
花嫁学校としての料理学校じゃなくて、生きてくための料理学校ね。
(そういえば、徹底してたのは料理だけじゃなかった。彼女はパンツにまでアイロンをかけてたよ。)

で、もう、何つくろう?もうやだ〜、って思ったとき、私はおばあちゃんのおいしい料理を思い出す事によってかろうじてそれを乗り越えることが出来る時がある。(それどころか、人生もういや、と思った時に、おばあちゃんの五目煮を思い出して幸せになる事もある。)
自分が与えてもらった事をなすのは当然、それが出来ないのは私の前の世代の人たちに対して申し訳ない事だと思っていろんな簡便さを思いとどまったりする。どんなコマーシャルにも負けず、そういう過去の体験が最低ライン(レトルトとか、なんとかのもとを使用する)の歯止めとなっているし、やっぱりおいしいと言ってもらえるものをつくんなきゃっていう動機になってたりするのよね。
ドコマデモぐーたらokの私の歯止めは、結局、過去の体験だったり、おばあちゃんの意志だったりするわけなんだ。

食って言うのは、そんな風に継承されるものだろうなって、最近つくづく思った。

で、フライパン。
フライパンって、実は凶器にもなる。
めんどくさいから調べないけど。
フライパンで殴ったり焼かれたりして殺された人間も何人かいる。
フライパンは何でも出来る。
でも、フライパンで何でも出来るっていうのは日本の過去にはあり得なかった状況かも。
何でも出来るフライパンが欲しいけど、そうじゃなくて、おばあちゃんみたいにせいろを出したりひっこめたり、大きなお鍋を出したりひっこめたり、その度に儀式用具をだすみたいな仕草だって、実は、とっても伝えていきたいなあとか思ったりしてるんだ。
主婦にもっと大きな台所を!
食の伝統をもっと大事に!
みたいな?
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by yyymotot | 2004-10-20 22:17 | Diary

たしかにね。

「フライパンで料理の9割は可能」だそうだ。
さんまの塩焼きもできるんだって。
ちょっと深めのフライパンがあればたしかに鍋はいらないな。
深くて返しにくいっていうなら、それ専用の形したフライカエシを考えるとか、
思い切ってトングでやるとか、なんとかなりそうね。

フライパンで料理の9割は可能
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by yyymotot | 2004-10-07 22:02 | Diary

『ラリー・フリント The People vs.Larry Flint』1996

ポルノの帝王、『ハスラー』創業者、先のカリフォルニア選挙でギャンブルと売春の合法化を公約に立候補したラリー・フリントの戦う半生。
フリント役には『ナチュラルボーン・キラーズ』のウディ・ハレルソン。薬中の果てエイズを患う妻役にはコートニー・ラブ。監督は『カッコーの巣の上で』『アマデウス』のミロス・フォアマン。製作はオリバーストーン。
(オリバー・ストーンは、1994年には『ナチュラルボーン・キラーズ』にラリー・フリントを起用した際、彼の父親が殺人で終身刑を食らっているからだって言うような事をいってたようだが、1996年『ラリーフリント』ではポルノの帝王役に抜擢。タフな出自は関係ないと思うけど、確かにハレルソンはいつも迫力あるね。)

この映画はちょっとウダウダ思考に犯されつつあった私を相当元気にしてくれた。
そだ、エネルギー充填!

それはそれとして。
これを見るまでハスラーもラリー・フリントも全く無縁だったけど、この映画で興味がわいて検索してみた。で、一番面白かったのは、ラリー・フリントの娘のトーニャが、すっかりポルノグラフィアレルギーで、それどころか、『Hustled: My Journey from Fear to Faith』っていうパパに虐待されてたって告発本を書いていたってこと。(この映画をみて、パパがヒーロ?とんでもない!黙ってるわけにはいかない、と思って書いたらしい。)

映画でも描かれているけど、ラリー・フリントは、超有名伝道師を誌上でおちょくって(野外トイレで母親とファックしたって告白パロディ公広告を載せた)起訴されて最高裁で言論の自由を争って結局は無罪を勝ち取るんだけど、とすれば、娘の告発を封じる訳にもいかないし、だからといって、娘に対して肉体的精神的虐待を行った、、、なんて言われっぱなしにしておくこともできないわけで(フリント自身はきっぱり否定している)、言論の自由を保障するのも善し悪しだなと考えた、、、、、、かどうかはしらない。


トーニャ・フリント
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by yyymotot | 2004-10-03 05:28 | Movie

「負け犬」じゃなくて、「噛ませ犬」かも     カテゴリは「 愚痴 」だね。


むかし、シャナナっていうバンドがあって、年上のあこがれの君がシャナナが好きっていうので、それからずっとシャナナっていう音感に特別な思い入れがあって、サザンがシャナナ〜♪って歌った時は、ちょっとドキドキして、っていうようなそんな微妙にトキメク気持ちをすっかり失ってしまうってどうよ。

周りになんと言われても、キンクスが好きな自分が好きっていう感覚はなんでなくなっちゃったの?

夜中にこっそり抜け出して一週間前に火事で焼けた高校の校庭で踊ったのは幻?

文化祭でユーミンを歌った厚顔はどこにいっちゃったの?

アマチュアバンドマンのkちゃんに、いまさら、申し訳なく思うってどうよ。

結婚してから私は、本当にひとりになった。
それまではなんだかんだ言っても家族が支えてくれてたんだな。
ひとりになってからは、なんでも本当にひとりだけで決めなくちゃならなくて、
そういう訓練してなかったから、ほんと、大変だった。
そのうち、シャナナもキンクスもわくわくするような体験も厚顔も鼻持ちならない自信も、すべてなくして結局はおろおろするお母さんになっちゃった。

私は、今、自信をもって言うよ。
結婚は好き嫌いじゃなくて、さまざまな援助を受けられる形ですべきだってね。
お見合いなんてのは、ほんと合理的なシステムかもよ。
で、恋愛で結婚するなら、なんでも一人で決めたりしなくてすみそうな人を探すべきだよ。
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by yyymotot | 2004-10-02 00:01 | Diary