カテゴリ:Diary( 40 )

スプーン曲げあるいはおいしい水

『砂漠』    伊坂幸太郎 実業之日本社 
ファン待望、著者一年半振りの書き下ろし長編。(帯いわく)

自分が念じたフレーズを他者に語らせることができるっていう超能力をもった青年の話が前作の『魔王』。今回、『砂漠』ではスプーンを曲げる超能力者が現れる。
二つの小説の中で示される超能力は個人を際立たせる刻印として使われるけど、でも、それが展開のメインになったりはしない。
でも、こんな会話を登場させて、コー様ファンをしびれさせる。


P231
 「超能力を否定する人たちってのは、超能力以外の別の物も否定しているような気がする。」
 「以外のものってたとえば、何ですか、北村」
 「たとえば、そのスプーン曲げをしている人の人生とか」
 「人生。ときたか」と藤堂が言い返してくる。
 「それから、それを見て、すごーいって喜んでいる人の感性とか、そういうのを全部否定している、そんな気がする。偉そうに。」

そう、●●を否定するっていうことは、●●を肯定している(信じている)人の人生を否定していて、そういう感性も全部否定しているってことなのだ。つまり、●●を肯定している人の存在自体を否定したがっているようにどうも聞こえてしまう事が多いってこと。

実際、●●を肯定する人を否定した人は、その人が●●を肯定しているその部分だけじゃなくて、その全人格を否定したがっている事が多いのだと思う。
なぜ、彼が●●を強烈に否定するかといえば、彼が●●を肯定する様な価値と対局な価値を信奉して生きているからにすぎない。


それはそうと、水問題ってのがあるらしい。
水に優しい言葉をかけると化学変化を起こして?おいしくなるっていう説を唱える一派がいて、さらにそういう人たちをとても問題にしている一派がいるそうだ。
そんなアホなと私は思うだけだが、問題視している派は必死である。
彼らは、おいしくなる説を唱える派の論拠をことごとく科学的に論破したけど、それでもそれを信じる人たちがいて、なんでよ〜、って思うらしい。
また小学校の先生にエー話やなと信じる人が多くて、それも彼らを悩ましているらしい。
彼らに言わせれば、学校というのは科学的な知識や思考を身につけさせなくてはならない場なのに、センセがインチキ実験を鵜呑みにしてどうするんじゃ、っていうようなことなのだろう。
言われてみればそのとおりなんだけど、センセ達の切実な問題って多分全く違う次元なんだよね。
学校の先生はいつもなんとか(こども)をコントロールしようとしなくちゃならないと考えていて、それがなかなかうまく行かなくなってきて、どうしていいか解らないでいる時、「言葉がけ」によって水が変わるって言われたら、そりゃ、とびつくよ。こどもに言葉をかける事はやっぱり相当有効そうだ、っていう風に帰結したいのだと思う。なんつーか、教師としての実存的な琴線に触れるんだよね、「言葉かけ」っていう行為自体が。
もしかしたら反省も込められているのかもしれないし。

ま、小学生高学年ぐらいなら、おいしい水派センセの高揚を敏感に察知してこどもらしい計算高さで同調するポーズをとる小学生もいるかもしれないけど、彼らはセンセたちのような動機はないので、たいした影響を受けるとは思えないのだけどね。当然、教師に無視されるより「言葉かけ」された方がこどもは嬉しいし。


お天道様に恥ずかしくないように自らを律し、お水をおいしくさせるように他者に語りかける、それは、それで良い話だとおもう。実際に、科学的な知識や思考が身に付いて、それを社会で活かしていく生徒ってもしかしたら、一握りなのでは?


ところで、キクチというおいしい水征伐派の学者さん?が、mixiでおいしくなる信奉者と一生懸命対話しようとしたログがどこかにあってそれを見たことがあったんだけど、それはとても気持ちのよい対話でした。
彼は、おいしくなる派になぜそう信じるのかって問いかけていらっしゃって、おいしくなる派の人の回答にものすごく誠実に応答なさっていて、ちょっとカンドー的でもありました。
(でも、mixiではない彼のhpには、征伐派同士でのヤレヤレ会話が相当見られて、それはそれで面白かったです。)

結局、●●を信じるとか●●を否定するとか、そういう話ってどうしても対立的な論調になってしまって、殺伐としてしまうわけで、どうやれば、そういう話を回避しつつ、なぜ●●を信じたり否定したりするか、って言うところを考えながら話を進めていくと、相手の言い分も相当理解できたりするのではないかと。
もちろん、理解されて、ああ、これは相当教養がない奴やなとか思われたりしているわけでしょうが、それでも、形式上は和やかな対話が進行して、すみ分けが進んで無駄な憎悪を感じる事が軽減されるわけで。
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by yyymotot | 2005-12-23 00:29 | Diary

信じたくない、嘘だよね。

当然の訃報。
自分のことを不幸とも幸福ともいわず、淡々となすべき事をこなして来たともだちが亡くなった。
困ったときに電話をして悩みを聞いてもらえる、勝手に私がそう考えていた数少ない人だった。

お嬢さんにカードを使用させないでくださいと学校から言われた多分初めての生徒だった。
高校のときからディオールだかなんだかの外国の化粧品をコレクションしてた。
誕生日のパーティが料亭で!産まれて初めて鰈の唐揚げを食べさせてもらった。
いつもなんの苦労もなさそうに見えた。
大学に行ってから彼女のうちで開かれたパジャマパーティに参加して初めて、
ずっと弟妹のお弁当を彼女が作っていた事を知った。
彼女が好きになった男を連れて東京にやって来た。
まるで夫婦漫才。エレベータの中でお腹を抱えて笑った。
すてきなカップルだと思った。
出産後の同窓会で、私がいっつもしあわせなのを自慢してたと思ってたと言われて仰天した。
電話したり手紙を書いた。理解してもらえたと思った。
それから時々電話してみんなの噂を教えてもらった。
彼女はいつもみんな元気だと言って笑っていた。
同じ歳のこどもの事で相談にのってもらった。
大丈夫だって、って太鼓判をおしてくれた。
胃を全摘した後にも相談にのってくれて、励ましてくれた。

まさか、彼女が死ぬとは思わなかった。

どうしよう。
お通夜に行って彼女が死んでたらどうしよう。
ねえ、って言ってなにも応えてくれなかったらどうしよう。
借り借りなのに、どうやって返せばいい?

彼女は自分の事を不幸とも幸福とも言わない。
自分が不幸だとか幸福だとか言いたがる女たちの中で
彼女は、いつも、淡々と好きな事をして、やるべき事をこなしてた。

彼女の人生が幸福だったとか不運だったとか、
そんなことを言う人たちがいたら、
ブチキレればいい?

チチトコトアーメン、南無阿弥陀仏、
いったいどの言葉が今、彼女には通用する?
何語で語りかければいい?
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by yyymotot | 2005-12-16 23:31 | Diary

いじめっこといじめられっこと校庭で

なんで『隣人13号』があんまり面白くなかったのかっていうと、この手の話は色んなところでもう何回も聞いたよ〜〜、っていう既視感がつきまとうからなんだろうな。

いじめにも報復にも多重性人格障害なんていう言葉にもなんか飽き飽きしている。
いじめによる自殺は減ってる?増えてる?
いじめ自体、減ってる?増えてる?

統計がどこにあるのか、結論がどうなっているのか知らないけど、
最近の子供に関するニュースは幼児殺しや虐待やがメインで、いじめについての事件はほとんどない。
そんな事態にならないように学校自体そうとうセンシティブになっている?
ようやく、学校にもフツー感覚が要求されるようになって来たって事?
学校以外の選択肢も増えて、それも、救いにはなっている?

いずれにしても、なんかみた事ある/聞いた事あるような話ってどんなに表現に凝ってもデジャブ感がつきまとう。5年前に作られてたら凄い面白かったかも。
今更な感じがやっぱり、興を削いでしまうのでしょう。
ものすごく、リアルを貼付けてみたりすると 逆にアリだったかもしれないけど、
結局、最後、復讐ファンタジーにしちゃったわけで、そんなこんなで、イマイチ感が最後でより高まっちゃったんだと思う。

つか、イジメ話/イジメ復讐話に既視感を持つってのもどうだとは確かに思うけど。
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by yyymotot | 2005-12-07 19:44 | Diary

犬の気持ちは解らない

犬を飼い始めて半年になる。

子供時代、実家では複数の犬を飼っていたけど自分で世話した事なかった。
何十年か前の田舎で犬を飼うのと、今、東京/核家族で犬を飼うのは全然違うという事もわかってた。
子育てと一緒、結局全部私の負担になる。相当覚悟が必要だった。
すったもんだした挙げ句、夫と息子と私、一家総出で浜松のブリーダーさんちに二ヶ月になったばかりの小犬を迎えにいった。
皆でかわいい〜と歓声を挙げて、体長20センチぐらいの黒いモコモコが家族の一員になった。赤ちゃんの可愛さに圧倒されて2週間が過ぎた。

黒いモコモコは3週間目にいきなり嘔吐して、ぐったり元気なくなって、それから一ヶ月余、近所の動物病院に通う日々。
致死的病を患っている可能性を宣告されて毎日泣いた。
ちょっと調子がよくなると時無邪気にじゃれついてくる黒いモコモコが不憫で泣いた。
もしかしたらこのままなおるかもと期待したとたん、吐いて苦しそうにする黒いモコモコをみて絶望して泣いた。
そうして一ヶ月が過ぎたころ、色んな検査の結果が出始める。
モコモコが致死的病を患っている可能性はほぼない、という結論がでた。器質的疾患もない。バンザ〜〜イ!

それからめっきり嘔吐の回数が減った。
黒いゲホゲホなモコモコは病気の間も少しずつ大きくなって、モコモコしないでスタスタ歩く黒いワンワンになっていた。
それからも時々、ゲロゲロ、ハ〜ハ〜して、皆をあわてさせたけど、家にきてから4ヶ月、ようやく生活リズムも掴めてきて無理させないでダラダラ、ガフガフ過ごしている。

で、犬を飼ってみて改めて解ったのは、私には犬の気持ちはよく解らない、ってこと。
うちに来たのだからできる限り幸せな人生を歩んでほしいと思いすぎて、ワンワンがつまらなそうにしていると申し訳なくなってたりして、かまいすぎた。
体調を崩したのは、結局、環境の変化が負担だったんだろう。
産まれて間もない子犬がいきなり3人の人間相手しなくちゃならなかったのだ。
ハイテンションなぼっちゃん、やたら様子をうかがうママ、遅く帰ってきては写真を撮りたがるパパ。
今考えると、ほんと、犬を知らなすぎた。申し訳ない。

うまくしつける事もなかなか難しい。人間の都合に合わせて決まった場所でおしっこするなんて犬にしたらなんのこっちゃだろう。

ワンワンをコントロールできた暁に訪れるはずのシアワセを夢見る事はやめなくちゃ、だ。
一緒にすむための最低限のルールはおいおい覚えていってもらわなくちゃならないだろうけど、それだって、そんなに焦る事はない。ワンワンのおしっこぐらい拭けばいいじゃん。
ダラダラ、ガフガフ、今は、とりあえずこんな具合で、、、とてもシアワセ。
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by yyymotot | 2005-12-03 22:01 | Diary

コミュニケーションの共同体的スキル

某リサイタルへ。
思わぬ人とばったり。(むこうも相当びっくりして「なんでこんなところにいる?」と聞いてきた。こちらが言いたい台詞だよ。)

ところで、最近チャマさんという方のブログwhat is my lifeにリンクをお願いした。
とても読み応えのある不登校関連のエントリー群。
読んでいるとスキッとして元気がでてくる。で、いろいろ考えさせられる。

自分の中の常識となっている考えを見つめ直すっていうのはトッテモ難しい。
フツーと思っている事が実はそんなにフツーでもなく、時代時代に張り巡らされた慣習的規範を信じているだけだったりしたとしても、それに気がつく事も疑問を抱く事もなかなかめんどくさい。

でも、自分自身のことじゃなくて子供が習慣的規範を逸脱したとき、親はそういう事を面倒でもなんでも考えざるを得なくなる。寄り道をしてしまうこどもに、迷子になるこどもに、親達がどんな風に悩むのか、決断するのかをチャマさんはものすごくセキララに語ってくれている。
母親に対する神話を強化しようとするより、チャマさんをはじめこどもに関する色んな困難を乗り切ろうとしている様々な母親たちの姿を浮かびあがらせるべきだ。多様な母子関係に<常識>は今更ながらびっくりすればいい。


社会はいつの間にか昭和を懐かしむほどに変質し、習慣的規範だけじゃ色んな事がうまく説明できなかったり運営できなくなったりしてきてる。それを問題にする学者は色々言うし、政治家も色々いう、つか当事者も色々言う。
でも、同じような規範意識はもはやありえなくて、自分の意見をちょっぴり言ったりしただけで、山ほど他者の反論を聞かされるはめになる。
そういうのがめんどくさいので、どんどん意見を言わなくなる。黙る。
黙っていると身体が冷えてくる。言葉が冷えてくる。他者の感触が変わってしまう。
本当に、黙っちゃう事が解決になるんだろうかっていつも自問自答してたけど、
やっぱりそれは、ちゃう!と最近思うようになってきた。
(なので、チャマさんにリンクお願いしたりできたのよ〜〜ん。)

解り合うためのコミュニケーションじゃなくて、殺し合わないためのコミュニケーション、
共感するためのコミュニケーションじゃなくて、違いを知るためのコミュニケーション。
あなたと私は違ってて当たり前、と本気で言えて、さらに、なにかお互いの最良をうんうん考えていくことができるような技術、それこそ、コミュニケーション・スキルなんじゃないかと。
そう考えると儀礼とかお祭りとか、そういうのって大事なんだなあとつくづく思う今日この頃でした。
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by yyymotot | 2005-11-25 22:35 | Diary

フツーがいいに決まってんじゃん!

子供がごくフツーに育っていってほしいと思うのはどんな親だって多分いっしょだと思う。
でもって、多くのこども達はそこそこフツーに年齢を重ねてやがて社会に参入してゆく。

ではそうならなかったとき。例えば、万引きをした、不登校になった、学校の勉強についていけなくなった、落第した、加害者になった、ひきこもった、ニートになった、いろいろあると思うのだけど、そういうときフツーの親達はどういう風に捉え振る舞うものだろうか?

私の場合は(っていうか、多分他の親達も)「彼の逸脱は何が原因なのか?」ってまず考えてしまう。(フツーではない状況に陥るってことでとりあえず逸脱って書くけどだれかの気に触ったらごめんです。でもってあくまでも例えなので万一本人みてたら気にしないように。)
そのときの状況を調べて把握して、そうなった事の原因を何かに求めようとする。
万引きしたら親の愛情不足か?不登校になったらいじめがあったのでは?勉強についていけなくなったら学習障害か?加害者になったら、ひきこもったら交友関係に問題があったのでは?、、、てな具合に。
で、原因を探り当てて、あるいは、急場しのぎにこしらえて、次の手をうとうとする。
じゃ、次の手って何?何のための次の手?と考えてみたら、実は、フツーに戻すための次の手だったりするわけです。
悪い事もせず、学校にもいって、よい交友関係をもち、勉強もそこそこして、、、そういうフツーのこども。

ところが当のこども達はそういうときに絶対に親の言う事をきこうとはしない。
なぜ?ちょっと思い当たるのは、親が自分にもとめているのがフツーの子供像ってところでカチンとくるのかもしれないなってこと。
こども期渦中にいる彼らにとって、親が傍観的に描き出すこども像なんてはなからピンとくるはずない。
ただでさえややこしい思春期なんかのまっただ中でコントロールの難しい自我やら性やらと格闘中なのだから、フツーのこどもなんてみたことねえ、てなもんだろう。
果たして彼らに親のフツー指向を説得できるのだろうか。

つーわけで、ちょと脳内シミュレーションしてみます。

『勉強しないこどもとの会話』編
子「フツーってなによ。」
親「いい質問だね。フツーとは、問題がないってことかな。」
子「問題がないわけねーだろ、生きてんだから。」
親「なるほど。そりゃそうだ。じゃ、選択肢を無駄に減らさないような行動をとる分別が
  年相応についていること。」
子「無駄に減らしてんじゃねーよ。それよか、こんなことで選択肢を減らすような
  世の中がおっかしんじゃない?」
親「それもそうだ。でも、ゲンジツはゲンジツ。あんたがそういうことをしてたら確実に
  将来の選択肢が減る。」
子「選びたくもないよな選択肢なら最初からいらねえかもよ。
  で勉強しなかったら、いったいどんな選択肢が減るってんだよ。」
親「進級できなくなるかも」
子「一年余分に勉強すると選択肢が減るのか?」
親 「今勉強できないで来年できるようになると思う?」
子「そんなことはわかんね。何しろ今は成長期。
  来年になったらでかくなってるだろうし、勉強だってやる気になってるかもしれない。         
  こどもにとっては 一年さきのことなんて予測不能の大未来なんだよ。」
親「大未来ね〜、ふ〜〜む。
  確かに、君は一年で歩けるようになって、次の一年でしゃべれるようになったからな。
  それは凄い進歩だった。」
子「それから、子供のときの一年はママたちの一年とは全然長さが違うんだよ、知ってる?
  ママ達は一年なんてあっという間だっていうだろ、でもボクらにとって一年っつのは、
  めっちゃ色んな事があって、ドキドキハラハラしてえれ〜〜長いんだよ。
  長くて長くてツカレちゃうほどなげ〜〜の。」
親「そういえば、そうだったかも。わかった。
  とりあえず、がんばって時間を大事にしてがんばってください」

だめじゃん。

『勉強しないこどもとの会話』reloaded編
子「だから、フツーってなによ。」
親「フツーとは、問題がないってことかな。」
子「問題って、どんな問題よ?」
親「大多数の他のこどもたちが努力できている事をやれないっていうよな問題」
子「だから〜、そのどこが問題なのよ。いってやろうか。ママが気にしてんのは
  ズバリ世間体じゃないの? ご近所や親戚に対してかっこわるい、みっともないとか。」
親「ズバリ、、、って君は埴輪君か。もちろんそれもある。だいたい、世間体って
  そんなに馬鹿にするような事なのかなあ。世間にみとめられるってきもちいいじゃん。
  そうそう、国連でもそれ話題になったってよ。」
子「なにそれ。それは「みっともない」じゃなくて「もったいない」だよ。馬鹿か。
  世間体よりもオレをまもって育てんのが親ってもんじゃないのか? 世間体を気にして
  ありのままのオレを変えさせようってのかよ。」
親「変えられるものなら変えたいわよ。」
子「それは、無理。」
親「なんで断定するのよ。人間変わろう思えば変わるわよ。やる気出せばできるわよ。」
子「だから、無理。変わろうなんて思ってないから、無理。」
親「なんでそんなに意固地になる必要があんの?」
子「こどもだから。モチベーションが調達できるまで無理。」
親「他の子達ができてるのになんであんたは無理なの?」
子「そんなこと知るかよ。他の子達とはちがうからだよ。」
親「バッカみたい!」
子「親がそういう事言うとこどもがどんだけ傷つくとおもってんだよ。」
親「傷つく、傷つく、解ってほしい、解ってほしい、そればっか。
  あたしだって傷ついてんのよ。」
子「なんでママが傷つくの。」
親「それは、それは、それは、子離れできてないからにきまってんじゃん!
  傷つく君をみたくないからじゃない。」
子「見てろよ。だまって。」
親「、、、、、、ん。がんばる。」

ううう、、、自爆した。
またしてもだめじゃん。
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by yyymotot | 2005-11-14 21:09 | Diary

たまには人の顔色うかがったらどうだ!

人の顔色を窺うっていう言葉がある。否定的なニュアンスをもって使われる事が多いけど、でも、実はこれってすっごく大事な事。

うちの子、学校でうまく行かないことが多くて、帰ってくる度「おっかえり〜」って笑顔で言いながら横目でちらちら顔色を窺ったものでした。ま、ほぼ毎日なにかしらあるので、単刀直入に「今日は楽しかった?」なんて尋ねる事も多かったのですが。
新婚の頃は夫が帰ってくるとやっぱり顔色を窺ってました。なんだか不機嫌そうだったりするとなにかあったのかな?とか。(可愛かったですね。昔の私は。)

顔色を窺うって言うのは、相手におもねるというより、相手の状態を察知して、次に続くコミュニケーションに備えようとする態度なのかもしれません。
で、アスペルガーの人たち、もしくはそういう傾向がある人たちは総じて相手の顔色を窺う事が苦手です。
彼らが一般的なルールを習得するのが苦手だって言うのも、普通の子供達はそういう相手の微妙なサインを受け取って、あ、これは駄目な事なんだ、これはいい事なんだっていうことを体得していくのに比べて、彼らはサインを読み逃がし続けてしまうので、場にふさわしい態度やルールを学習する事がなかなかできづらいのかなと思ったりします。
結果、本人達は場違いな振る舞いをしてしまうことを恐れなくちゃならなくなったり、コミュニケーションがうまく行かない事に悩まされたりすることになってしまうのですが、彼ら自身は相変わらずそういうサインが送られている事に無頓着だったりする訳で、実は、彼らとつきあう側にも相当なストレスをもたらす事になったりしてしまいます。

恐い顔をしてみせて「ダメっ」って叱ってもあんまり効果ないし、こちらがどれだけ鬱な様子でも気がついてはもらえない。つーわけで私もう、へろへろ。
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by yyymotot | 2005-11-13 21:58 | Diary

そしてニート

パートタイマー→アルバイター→プー太郎→フリーター→そしてニート
杉村太蔵衆議院議員が世間を賑わして、「課題はフリーター、ニート問題です。」とか言い、さらに、フリーターとかニートを集めて「意見を聞く」会などを催し、すっかりマスコミはフリーターやニートが問題であるという前提で話を展開しているんだけど、いったいそれらのどういう事が何に問題なのかが解らない。

私の知る限りでは、まず「アルバイター」とか「パートタイマー」とかそいういう言葉があって、それは正社員にならない就労業態を選んでいた人たちの事をさしていた。
それから、景気が悪くなってきて、そういう就労形態しか選べない状況がいかがなものかみたいな話になった。
で、「ブー太郎」という言葉はその人たちと区別する形で出てきたように思う。
最初から正社員を目指さないで時間給の仕事をこなしながらまったり自分の生き方を探している、いわば、モラトリアルな若者達の生き方を若者自身が肯定しつつも自己諧謔的に「プー太郎」って呼んだのが最初だった気がする。
それから10年間。景気悪くて正社員の採用率がどんどん減って、モラトリアルな若者ばかりでなく正社員になりたい若者達も不本意ではあるけど非正社員的就労業態を選択せざるを得ない環境になって、そういう若者もひとからげに「ブー太郎」っていう言い方もなんだからってんで、「フリーター」っていう言葉が登場した。
それからしばらくしてから、「ニート」っていう言葉が暗躍しはじめるんだけど、これって、多分、「ひきこもり」を社会問題化したときの文脈ででてきたんだと思う。

「アルバイター」とか「パートタイマー」で話が進むと正社員との対価の不平等が問題にされやすい、で、その中での若者の就労問題を特化させて、それって実は自己選択的な問題なんだよ、ってことで「ブー太郎」をアッピール。
でも、自己選択的な問題だけでなく企業が採用人数を縮減したり、就労形態を変えたがっているってことにも問題があるんじゃない?っていうような言説が出て来たけど、そういうのよりむしろブー太郎やフリーターにもなれない?意欲のない若者が問題なんじゃない?ってことで「ニート」っていう言葉がやたら出てくるようになった。
いったい何がどう問題なのか解らないまま、結局、55年体勢を支えた職業倫理や自己責任論に着地させてしまっているような気がするのだけど、ほんとこれでいいの?
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by yyymotot | 2005-11-12 23:26 | Diary

大峰山(女人禁制)の乱と資生堂(ハゲ遺伝子の廃絶)の乱

大峰山に、
「修験道の根本道場として知られ、約1300年間女人禁制が続く奈良県天川村の大峰山(山上ヶ岳)の登山口で3日、全国の性同一性障害者ら約30人が、入山を認めるよう地元住民に求めた。初の試みで、住民の反対でこの日の登山は断念したが、改めて話し合いの場を持つことで合意した。」(毎日新聞)ってようなことがあって、ネットで大騒ぎになっていた。

そもそもこのタブー破り、イダヒロユキという大学のセンセが呼びかけたらしい。
センセの日記

関連ブログに『マイノリティだからって、何をしてもいいんじゃないよ!』っていう反論が殺到してて、既にいくつか閉鎖されちゃっている。
ネオコン的な反省が日本に浸透しつつある今、マイノリティな人々の権利主張は、今までのように甘えたものでは見向きもされないばかりか、逆に砲火を浴びてしまうという良い例ですね。
フェミニズム的な運動は特に、ターゲットにされやすそう。
いろいろ実際にはあるのかもしれないけど、
今の日本、女だから不幸って話は誰も信用しないもん。
誰が本当に不幸かってことには結構シビアな国民性だし。

で、いろいろ廻ってたら、今年の5月頃、資生堂がハゲ薬を売り出して、そのネット広告が大問題になって、ハゲ薬そのものが発売中止になったってことを知りました。

資生堂ハゲ問題まとめサイト

資生堂ったら、ハゲな人々を故意に貶めるような統計やイラスト、さらには「ハゲは子孫にも迷惑」と身もふたもない優生学的領域にまで射程に入れた扇情的なコピーを使用していたらしいです。
ハゲというマイノリティな人々にとってだけじゃなくこれは確かに問題だわ、資生堂のアホさ。

ちなみに私はハゲだから好きってことはないけどハゲだから嫌いってこともないです。
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by yyymotot | 2005-11-07 20:14 | Diary

息子の友達

今朝、息子のブログをこっそりみたら、なんだかそうとう落ち込んでいる模様。
そか、、、バイオリンは最後の友達だったんだね、、、。

で、どうしようと、あれこれ考えているうちにお昼もすぎて、
なんだかんだやっていると、
「今から友達二人家につれてくから。おやつよろしく。」の電話。
高校の友達がうちにくるのは初めて。
慌ててポテチなどセブンイレブンで買ってくる。

それから間もなく、チャリンコをとめる音がして、
「おじゃましま〜〜す。」の声。

二人ともなんて普通の男の子!!かわいい!!
小さい頃から空気読みながら自分のポジションを自分でセッティングしてきた子供達。
自信にあふれてて余裕すらある15歳、ほんと驚異!!
すてき!!!!

で、私はまたしても祈るだけ。
どうか、わたしの愛する息子を理解してやってください、嫌にならないでください、
傷つけないでください、教えてやってください、、、、。

自信のない嘘つきな息子が、でも、なによりいとおしい46才の母
それが2005年の私の夏なんだ。へ〜〜。
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by yyymotot | 2005-07-15 22:30 | Diary