コミュニケーションの共同体的スキル

某リサイタルへ。
思わぬ人とばったり。(むこうも相当びっくりして「なんでこんなところにいる?」と聞いてきた。こちらが言いたい台詞だよ。)

ところで、最近チャマさんという方のブログwhat is my lifeにリンクをお願いした。
とても読み応えのある不登校関連のエントリー群。
読んでいるとスキッとして元気がでてくる。で、いろいろ考えさせられる。

自分の中の常識となっている考えを見つめ直すっていうのはトッテモ難しい。
フツーと思っている事が実はそんなにフツーでもなく、時代時代に張り巡らされた慣習的規範を信じているだけだったりしたとしても、それに気がつく事も疑問を抱く事もなかなかめんどくさい。

でも、自分自身のことじゃなくて子供が習慣的規範を逸脱したとき、親はそういう事を面倒でもなんでも考えざるを得なくなる。寄り道をしてしまうこどもに、迷子になるこどもに、親達がどんな風に悩むのか、決断するのかをチャマさんはものすごくセキララに語ってくれている。
母親に対する神話を強化しようとするより、チャマさんをはじめこどもに関する色んな困難を乗り切ろうとしている様々な母親たちの姿を浮かびあがらせるべきだ。多様な母子関係に<常識>は今更ながらびっくりすればいい。


社会はいつの間にか昭和を懐かしむほどに変質し、習慣的規範だけじゃ色んな事がうまく説明できなかったり運営できなくなったりしてきてる。それを問題にする学者は色々言うし、政治家も色々いう、つか当事者も色々言う。
でも、同じような規範意識はもはやありえなくて、自分の意見をちょっぴり言ったりしただけで、山ほど他者の反論を聞かされるはめになる。
そういうのがめんどくさいので、どんどん意見を言わなくなる。黙る。
黙っていると身体が冷えてくる。言葉が冷えてくる。他者の感触が変わってしまう。
本当に、黙っちゃう事が解決になるんだろうかっていつも自問自答してたけど、
やっぱりそれは、ちゃう!と最近思うようになってきた。
(なので、チャマさんにリンクお願いしたりできたのよ〜〜ん。)

解り合うためのコミュニケーションじゃなくて、殺し合わないためのコミュニケーション、
共感するためのコミュニケーションじゃなくて、違いを知るためのコミュニケーション。
あなたと私は違ってて当たり前、と本気で言えて、さらに、なにかお互いの最良をうんうん考えていくことができるような技術、それこそ、コミュニケーション・スキルなんじゃないかと。
そう考えると儀礼とかお祭りとか、そういうのって大事なんだなあとつくづく思う今日この頃でした。
[PR]
by yyymotot | 2005-11-25 22:35 | Diary
<< 犬の気持ちは解らない フツーがいいに決まってんじゃん! >>